Fuko's Blog

日々のことや旅のこと

本のデジタル化、得たものと失ったもの📚

約100冊の本とのお別れ…

前回考えた身辺整理の中の、本をデジタル化するために、家の隅々に並んでいる本たちを手さげやリュックに詰めた。

肩にかかる重さが、さみしさと懐かしさを募らせた。

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大学進学のときに一人暮らしをはじめ、シェアハウスやルームシェアをしたりした。

もともと移動が好きだったので、

一人暮らしは1年間、

その後ルームシェアを2年間、

そして四人暮らしのシェアハウスを2年、

そしてまた友人と二人のルームシェアに戻り1年と少しが経った。

 

できるだけ本は増やさないほうがいいかもと思い、図書館にも通っていたが、やっぱり好きな本は買いたくなってしまい、段々と増えていった。

 

感情につながる質感と思い出

本を売ることになって、改めて紙の本っていいなぁと名残惜しさを感じる。

その感覚はどこから来るんだろう…。

小、中、高と使った教科書や、漫画や小説など今までずっと紙というイメージがあるからだろうか…

確かに、スマホが出てきて、本でさえデジタルで読めるようになったのはとても最近のこと。

 

私にとっての紙の本とは、経験や思い出ととても紐づいている。

例えば、教科書も、試験のたびに学校に残って勉強したことや、友達のこと、恋人のことや、憧れの先生と少しでも話したくて分からないところを何度も職員室に聞きに行ったり、そんな思い出がある。

そのころの単語帳に書き込まれた書き込みや、マーカーの跡でよりそれを思い出す。

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また、子供のころ、何度も母にせがんで読んでもらったお気に入りの絵本がまだ実家にある。

空で言えるほどに何度も読んでもらい、表紙はぼろぼろになった。

 

初めて好きな作家ができて、特に気に入った一冊を何度も読んだ。日焼けしてしまって紙が少し黄色くなっていたり、しおりがなくてページの隅を折ったり、帯まで大切に取っておいたり…そういう記憶が積み重なるものが本なんだろうな。

 

紙の本は、まさに肌が覚えているものであり、記憶に残っている、その本だけでは完結しないストーリーができてくるのである。

 

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ページをめぐる感覚は、体験に似ている。
自分で物語を進めていくのだ。

デジタルで読む本と、これから

 

デジタルで同じような思い出を作っていくことはできるだろうか。

何を本に求めるかにもよるのかもしれない。

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もちろんデジタルでも書き込みはできるだろうし、もしかしたら今後母親の声を録音して、それと一緒にページが進む自動の絵本もできるかもしれない。

そうしたら、それが思い出になっていくだろう。

そうしたとき、後は好みの問題になってくるんだろうか。ちょうど、手紙とメール、lineのような。

 

みなさんはどちらが好きですか?